小津『彼岸花』 ほんとに大事なことを知っていたかつての日本人たち

小津映画の中では、『麦秋』や『彼岸花』や『秋日和』がとくに好きで、つい何度も見てしまう。最近『彼岸花』を見直すと、今までとは違う印象を新たに抱いた。この映画は、小津の映画のいつものテーマである、娘の結婚が話題になっている。だが、一人親と一人娘の関係性が息苦しい『晩春』と違って、『彼岸花』では三人の娘たちとその親が交代で登場し、物語に広がりと軽さを与えている。


小津映画への批判として、単調だとか、内容が些細すぎてつまらない、という意見はよくあるものだと思う。単調なのは、同じようなシーンが何度も登場するからで、内容がどうでもいいように思えるのは、娘の結婚といういかにも社会的に大事でないようなことがいつも話題になっていたりするからだろう。だがよく見ると、小津の映画は単調どころかテンポよくどんどん進むし、同じようなシーンでもつねに変化がある。テーマに関しても、娘の結婚というテーマを些細なものだと思うのは、いまの時代と当時の結婚の意味が違うからだろう。

たとえば戦前では、親にとって、娘が結婚するのと息子が結婚するのとでは、結婚というものの意味が全く違った。息子は結婚しても家に留まるが、娘は相手の家に入ってしまい、お盆や正月にしか会えなくなる。もっとも、こうした社会の雰囲気は戦後大きく変わっていくので、60年代には小津の映画はすでに古臭いものとして見られた。事実、60年代の小津の映画では、結婚した夫婦はアパートで二人で新しい生活を始めるパターンが多く、そのまま家で暮らすというものはない。小津も結婚生活が戦前と戦後では異なるものになりつつあること、社会の変化を認識し、当時最先端で憧れだったアパート暮らしを作品の中に取り込んだわけだ。しかしとはいえ、小津が執拗に描く結婚というテーマそれ自体がやがて古臭いものと見なされることになり、当時の左翼的な時代の傾向もあって、小津は保守的な映画監督と見なされることになる。しかし小津は、そうした自分に対する評価の変化自体も予め予感していたかもしれない。小津は自分の作品が、ちっぽけな事件に右往左往されるちっぽけな人間を描いた、時代遅れの映画だとみなされていくことを知っていたかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。だがいづれにせよ、彼ほどの天才が、そうした同じようなテーマを何度も何度も描いたのには理由がある。

この映画では、有馬稲子、山本富士子、久我美子がそれぞれ演じる娘の結婚という問題に直面してうろたえる親たち、とくに有馬稲子の親の佐分利信の感情の変化に焦点が当てられている。一見すると、聞き分けのない親父が娘の結婚を前にして無茶苦茶言って、家族を困らせる映画のように見えるが、そうではない。有馬稲子が結局は佐田啓二と結婚することは物語の展開上必然であり、それは観客に容易に想像できることだ。事実、この結婚は佐分利の反対などお構いなしにどんどん進んでしまう。佐分利信と笠智衆らの間で、何度か、「子供というものは勝手に大人になって結婚していってしまうものなのだなあ」という会話が交わされる。笠智衆の娘、久我美子が演じるそれはすでに親のもとを出て行って恋人と一緒に暮らしている。このケースが三人のうちでは一番はじめに提示される。久我美子のケースは、この時代の娘は親の意志とは関係なく自分の人生を自分で決めるという、この映画の基調をなす事実を示す。

この映画の真のテーマ、それは、娘の結婚を前にした佐分利信が、傷つき、その結婚を受け入れられないが、やがていやいや受け入れ、最後には全面的に承認する、その心境の移り変わりにある。これは、一人娘を持つ男親の、ほとんど子どもじみた傷つきやすい心についての物語なのだ。小津の映画が1960年代には若い人々、とくに若い同業者から古臭く見られたのは無理もない。若い人間には小津の映画に描かれている、ある年齢以上の人間にしか体験しえない感情が理解できなかったのだろう。『彼岸花』はとくにそういう話だ。

しかし、この映画が素晴らしい点はそのテーマにあるのではない。そうではなく、出てくる登場人物みなが、佐分利信の感情の機敏を感じ取り、それを気にかけていることにある。彼の娘、有馬稲子は結婚すれば広島に転勤する佐田啓二と一緒に広島に行ってしまう。そのため、年に数回しか会えなくなるだろうし、いつか箱根でしたような家族旅行もできなくなるだろう。佐分利はそのことを理由にこの結婚に反対だとは言わないのだが、結婚相手に不満があるわけでもなく、それ以外の理由はない。彼以外の登場人物はみなそのことをわかっているのだ
が、そのことを彼に直接指摘するようなことはしない。そこがこの映画の真に素晴らしく、人間的な点だ。

田中絹代はここで佐分利の妻を演じているが、なぜわざわざ彼女ほどの女優をここで使う必要があったのだろうか。それはまさしく、彼女の役がこの映画で最も重要なものだからだ。彼女が一番気にかけていること、それは娘の結婚のことではない。彼女は娘がいつか家を出て行くことがわかっている。彼女は、佐分利の心情を一番気にかけている。田中絹代は一見すると、ここで夫に従順な日本の典型的な妻の役を演じているようだが、じつはそうではない。確かに、彼女は、佐分利に娘の結婚を無理に承認させようとはさせず、夫の心が変わるのをじっと待っているだけのように見える。だがそれは、彼女が夫に従順だからというよりは、そんなことをしても、佐分利自身の感情は変わらないことを知っているからだ。娘の結婚を表面上、あるいは対面を保つために彼に無理に承認させてしまえば、それは彼に真に心から承認させる機会を失ってしまうことになる。そのことを彼女はよくわかっているのだ。これはいわば「喪の作業」についての映画なのである。

結婚式自体は小津映画のつねとして描かれず、そのあとに行われた同窓会のシーンにいきなり移る。ここで同級生たちが佐分利を慰めるシーンがある。彼らはみな同じように、育てた娘が出て行くことの悲しさを知っている連中である。小津のほかの映画においては、男親にとって娘が出て行くこと、それは親友の死と同じくらい悲しいこととして扱われている。彼らが笠智衆の詩吟を聞いてしんみりするシーンは、小津映画におけるお約束のシーンではあるが、ここでは彼らが悲しみを受け入れる役割を果たすものとしてある。

次に佐分利は京都の山本富士子と浪花千栄子の旅館を訪れる。山本富士子は以前彼を陥れるようにして有馬稲子の結婚を承認させたことを詫びるが、佐分利はそんなことはもう忘れている。ここで再び示されるのは、登場人物みなが、佐分利の心情によく気を使っているという事実だ。そして山本富士子は、新婚旅行で有馬稲子と佐田啓二がこの宿を訪れた際に、お父さんが結婚に心から賛成していなかったことを気にしていた、と佐分利に話す。この話を皮切りに、山本富士子と浪花千栄子は佐分利を広島の夫婦のところに向かわせようとする。そうすれば、佐分利は彼女の結婚を決定的に認めたことになり、有馬稲子も安心するだろう、と言うのだ。さらに彼女らはそのことを伝えるよう、佐分利に田中絹代に電話させる。この電話は、ストーリー上本来かけられるべきはずの新婚夫婦宛ではない。そのことに、この行為の説話論的な意味がある。というのも、この映画は、嫁に行く娘と親の物語なのではなく、娘の結婚を受け入れられない男親と、そのことに気をもむ佐分利の妻や身近な人物の物語だからだ。すでに佐分利が広島に向かうことは決まったので、この電話は、田中絹代だけではなく、佐分利の心情をとくに気にしていた主要な人物たちすべてに問題が解決したことが伝えられるという意味がある。田中絹代は電話越しに何度も「良かったそれは安心しました。ほんとうによかった」と繰り返す。これがこの映画の物語の終わりをなす。最後の電車のシーンは余韻だ。

小津が描くのは、娘の結婚を簡単には受け入れらない男親のごく自然な心情と、彼の心が最終的に整理されるまでの過程を、優しくしかし毅然と見守り、細かくフォローする周囲の人間の優しさと繊細さであり、そうしたことを人生における重大な問題として当然のように気にかける人間関係のネットワークそのものである。すでに彼の時代、それらは消え去ろうとしていたか、一部にしか存在しなかった。いまの日本にはこうした人間も、人間関係もほとんど存在しない。中学校の同窓会で同級生の詩吟を聞くという光景はもはやない。人間はばらばらになって、関係のネットワークはもはやない。日本人自体ももう以前と同じではない。

娘が結婚することを苦痛と感じる男親の感情は普遍的なものだが、もはやそのことについて語ろうとする人間はいないし、そんな感情を人のうちに認めてとりあげるということさえ、人々はもうしない。しかし、小津の映画の中には、そうしたことについてだけ話すような、今より少しだけ人間的だった日本人たちが存在する。そうした日本人が登場するのは小津の映画の中にだけではないが、小津ほどその姿を意識的にフィルムに定着させようとした監督はほかにいない。彼は、日本人がやがて変わってしまい、いまいる日本人の人間性とそれを支える人間関係はやがて失われてしまうだろうことを知っていたのだ。

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